日月神示 極め之巻~第15帖、月光の巻~第53帖、

極め之巻~第15帖

右の頬を打たれたら左の頬を出せよ、
それが無抵抗で平和の元じゃと申しているが、
その心根をよく洗って見つめよ、
それは無抵抗ではないぞ、
打たれるようなものを心の中に持っているから打たれるのぞ。
マコトにおれば相手が手をふり上げても打つことはできん、
よく聞きわけて下されよ。
笑って来る赤子の無抵抗は打たれんであろうが、
これが無抵抗ぞ。
世界一家天下泰平じゃ、
左の頬を出す(おろ)かさを止めて下されよ。

記:1961年8月5日

http://www2.ayu.ne.jp/user/drinkcat/hitsuki/z35_kiwame.html

 


これほど(こと)分けて申しても
得心できないのならば
得心の行くまで思うままにやって見なされよ
そなたは神の中にいるのであるから
いくら暴(あば)れ廻っても神の外には出られん
死んでも神の中にいるのであるぞ
思う(さま)やって見て
早く得心、改心致されよ
改心して仕事嘉言(よごと)と仕えまつれよ
結構じゃなぁ
そなたは自分は悪くないが周囲が良くないのだ
自分は正しい信仰をしているのだから
家族も知友も反対する理由はない
自分は正しいが他が正しくないのだから
正しくない方が正しい方へ
従って来るべきだと申しているが
内にあるから外から近寄るのだと
申してあろうが
そなたは無抵抗主義が平和の(もと)だと申して
右の頬(ほほ)を打たれたら
左の頬を差し出してござるなれど
それは真の無抵抗ではないぞ
よく聞きなされ
打たれるようなものをそなたが持っているからこそ
打たれる結果となるのじゃ
まことに磨けたら
まことに相手を愛しているならば
打たれるような雰囲気は生まれないのであるぞ
頬を打たれて下さるなよ
生まれ赤児(あかご)見よと知らせてあろうが

記:1959年3月3日

http://www2.ayu.ne.jp/user/drinkcat/hitsuki/z39_gekko.html

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